初めての海外旅行って、とても思い出深いものですよね。
私が初めて海外旅行をしたのは1986年、行先は中国でした。
色んな事に度胆を抜かれたのを今でも鮮明に覚えています。
35年前のこと・・・そんなに時間が経ったのかぁ~。
実は中国には2017年にも旅行していて、1986年から大きく変貌していることにも驚きました。
では、1986年の中国旅行についてお話しましょう!
1986年10月の上海は埃っぽかったなぁ

198年10月、上海空港に到着しました。
広い空港の真ん中に飛行機が停止し、空港の建物まではテクテク歩く必要がありました。
空港の建物には、180㎝以上あると思われる長身の軍人さん?ガードマンさん?がずらりと並んでいたのを覚えています。
わー、中国人って背が高いのねぇ!と驚きましたね。
上の写真は、空港からホテルに行く途中で撮ったもの。
当時はデジカメなんてないし、私が持っていたのは使い捨てカメラだけ。
いったい何を思ってあの写真を撮ったのか、当時の私に聞いてみたいですね。
とにかく上海の印象は「埃っぽい」というもの。
どんよりかすんでいて、工事だらけで、大勢の人が自転車に乗っていて・・・。
途中で夕食のために西園飯店という大きなレストランに寄ったのですが、トイレで鼻の中を拭いてみたら真っ黒だったことを覚えています。

西園飯店では、三つ葉のクローバーの炒め物が出てびっくり!
もしかしたらクローバーでは無かったのかもしれませんが、とにかくソックリな植物だったんですよ~。
このクローバーそっくりの炒め物は、どこに行っても出てきましたよ。
まだ浦東(プートン)地区が無かった外灘

上海を数カ所観光して、外灘の高級老舗ホテルに到着しました。
ホテル名は覚えてないのですが・・・石造りの外観で、いかにも高級で重厚な内装でした。そして欧米人ばかりが宿泊していましたね。
今なら、外灘からきらびやかな浦東(プートン)地区が見えますよね。
1986年は、この浦東(プートン)地区は存在していませんでしたよ。
外灘からは濁った海?がひろがるのが見え、その先に工事中の建物があったのを覚えています。
ツアーガイドさんは「向こう側に、近代的な建物を建設している。世界に誇る街になる」と説明してくれたのですが、当時の上海もあまり発展しておらず、にわかには信じがたい話だなぁ、といぶかしく思ったのを覚えています。

今では、そのガイドさんが言った通り、浦東(プートン)地区は世界に誇る街並みになりましたよね。
1986年には信じられなかった・・・人民服姿が多かったし、自家用車は殆ど無く、道路は自転車ばかりだったんですから。
すごいな、この35年の発展!
有名な外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)

上海には、外白渡橋という有名な橋があります。
英名はガーデン・ブリッジ。
何度も架け替えられ、様々な歴史を見てきたこの橋は、今日では上海の有名観光スポットのひとつです。
上の写真は、1986年に私が撮影したものです。
使い捨てカメラのクオリティ・・・

この写真は、2017年の上海再訪のとき、スマホで撮った画像ですよ。
ライトアップされてて、とても綺麗な橋でした~。
いろいろ複雑な歴史があり、日本とも関係のあるこのガーデン・ブリッジ。
この橋の歴史などについて詳しくはウィキペディアを見てみてください!
上海ガニはモズクガニと同じ?

上海ガニは上海名産としてあまりに有名ですね。
1986年に訪問した時も、もちろんいただきましたよ!

皆さん、上海ガニに夢中!!
でも実は私、上海ガニのことそんなに珍しいと思えなかったんですよ。
というのも、当時元気だった父が、近所を流れる川でモズクガニを獲っていたからです。
もちろん、川のカニを獲ってもいいという許可は貰っていましたよ。何かの会員になって、会費をちゃんと払っていたそう。
上海ガニは、見た目も味も、父がいつも獲ってくるモズクガニにそっくりでした。
上海ガニとモズクガニ、同じなんでしょうか!??
まとめ・・上海今昔物語

1986年当時の上海は、浦東地区がまだ無くて、埃っぽくて人が多くて、下水の臭いがして、そしてパワフルな街でした。
カメラを向けると、上の写真の子どもみたいに「さぁ撮ってください」というポーズをとってくれます。
まだまだ開発が遅れているなぁ、というのがまだ若かった私の率直な感想でした。
そして2017年に上海を再訪して浦東地区を訪問し、近未来のように煌びやかな街並みに本当にビックリしたものです。
なんだか、1986年に出会った暖かい中国の人々がいなくなってしまったような、少し寂しい気持ちになったのも事実。
でも、そんな私の感覚は間違っていますね!世界が豊かになるのはとても良い事なのです。
この次に上海に行くことがあれば・・・どんな変化が待っているのか楽しみです。
初めての海外旅行、中国編はまだまだ続くよ!